脳内吐き出しブログ

主に好きな映画、ゲーム、音楽等々

※ネタバレあり シン・エヴァンゲリオン劇場版の感想2

ということで記事分けました。

 

とりあえず率直な感想から。

 

※この記事では重度のネタバレをしております。また、基礎知識とかの説明はしません。重度のエヴァファンの個人的な感想などを書き連ねてくので、ストーリーとか基本的なことを知りたい方は他のサイトをご覧ください。

 

TVシリーズを含めた文字通り「全てのエヴァンゲリオン」を上手くまとめて完結させたなって感じです。シリーズ共通のテーマとして人との触れ合いや葛藤、その中での自己肯定や自己否定、原罪と贖罪等々が複雑に絡み合ってたものを、メインに主人公親子の関係を持ってきたことで旧劇版よりもシンプルに表現できてたと思う。

そしてさらに、仕組まれた運命を変えるのは人の意志(ヴィレ)であるということもミサトさんにガイウスの槍を創らせることで表していたのかな〜と

 

(ミサトさん死ぬのは覚悟してたけど、ミサトさん大好きマンとしてはやっぱ生きてて欲しかった・・・)

 

人類補完の要素や手段は旧劇と多少の差異はあるものの、大筋そのものは同じでしたね。ただ今回は主要キャラみんなの補完(救済?)がより丁寧に描かれていたと思います。

 

個人的にふと思ったのが、シンジの内面世界でよく描かれてた電車

あれって今思えば、エヴァの物語そのものだったのかな、と。

電車はレールが敷かれていて、決まった道しか走れない。つまりそれは行き先(未来)が決まっている、運命が仕組まれている、ということ。

シンジはエヴァのない世界、ネオンジェネシスを望んだ。そしてエヴァのある世界(劇中では物語と表現してる)から皆を逃がした。

ゲンドウが電車から降りるのはまさにエヴァンゲリオンという物語からの降板なんですよね。

 

マイナス宇宙と劇中では言ってましたけど、虚構/物語という形で過去作との繋がりを明示し、その上でそれも引っくるめて終わらせた。

それを考えると「さようなら、全てのエヴァンゲリオン」って思いっきりメタな発言なんですよね笑

全機体を槍に貫かせるというなかなかシュールな絵面で描かれてたけど、あのシーンの機体はまさにエヴァンゲリオンシリーズそのものの暗喩なんだと思います。

 

そしてシンジはマリと共に行き先の定められた電車を降り、駅を離れ、庵野監督の出身地へ。しかもここ、実写なんですよね。「エヴァンゲリオンという映像作品群は終わり、あとは現実。シンジたちもみんな大人になった。エヴァの呪縛はもうない。だからみんな(ファン)も現実に戻ろうね。」と庵野監督が言ってる気がしました。

 

マリと結ばれる結末が賛否を呼んでるようですが、個人的には「シンジがエヴァの物語を壊し未来へ進もうとするのなら、隣にいるのはアスカでもレイでもなく、マリが相応しいんだろうな」と思います。

マリってエヴァの登場人物の中で1番エヴァのキャラっぽくないキャラだと思うんですよ。僕は破の時から「良くも悪くもエヴァの世界観壊すキャラだなぁ」と思ってました。(まぁ実際のところタイトルが破なんで壊してナンボなんでしょうけど笑)

そういうエヴァらしくないキャラだからこそ、エヴァの無い世界に相応しい人物だと思います。

「別にシンジと誰か無理矢理くっつけなくていいじゃん!!」っていう方の気持ちもわかります。しかし、シンジが誰かと寄り添うってことは、シンジは人からの愛を素直に受け止め、人を愛すことを恐れてないってことの表れなんですよ!!!!!!!!!!!!

これがどういうことかって??シンジは自分の存在をしっかり肯定できてるってことなんです!!!!!!!!

これは今までのエヴァシリーズでは見る事が出来なかった、シンジ君の心の成長なんですよ!!!

正直これを見るために今までエヴァを待ち続けたと言っても過言ではありません!破の覚醒シーンでもシンジが父を止めるために初号機に乗ることを決意するシーンでももちろん感動しましたが、最後のシーンでついに僕の心も補完されました・・・笑

 

率直な感想と言いつつ吐きたい事ずらずらと書いてたらめっちゃ長くなってた・・・笑

 

まだ1回しか観てないし書きたいことはまだまだ沢山あるのですが、とりあえずこの記事はこれで終わります笑